思い出のカーションからコミュニケーションを学んだよ

去年の「母の日」に
息子たちにもらったカーネーションの鉢植え。

どうしても残したい!!!
また来年もお花が見たい!!!

茎の途中からカットして、
何本か別の鉢植えに挿しておいた。

(「こうするとまた花が咲くのよ」と、
お花好きの年配の女性に教えてもらっていたの)

じっくりゆっくりと、
春、夏、秋、冬、
再び春、

そして夏。

四季を一回り乗り越えてくれたカーネーション

とうとう蕾をつけてくれた

ピンクの花びらを
チラ見せしてくれるじゃないの。

そして昨日、

ぽっと開いた小さなカーネーション。

見つけたのは息子たち。

「かーちゃん、カーネーションが咲いたよ。」

と大騒ぎをして、
それぞれスマホを持って、
撮影大会していた。

私が日々、
大事に育てている姿を
一番、近くで見ていたのは息子たち。

「火の手」の持ち主でもできたぞ

一昨年のカーネーションの
挿し木は失敗して、
夏を越えずに枯れてしまった。

去年のカーネーションは
今、花を咲かせてくれたけれど、
挿した茎が全て生き残ったわけではく、
何本も枯れてしまったり、
枯れたと見せかけていた子が
春になってグングン大きくなったり。

先日は蕾ができたけれど、
いつまでたっても、
咲く様子がなく、
ちょっと蕾を触ったら、
中がスカスカだった。
(花びらまで育っていなかった)


中身が育たなかった蕾ちゃん。

私が育てる花たちはほとんど枯れていく。
多分、私がことごとく植物を枯らしてしまう、
「火の手」の持ち主なんだろうと
諦めていたところはあったが、
息子たちからプレゼントしてもらった
カーネーションを再び咲かせることができて、

少しだけ自信がついた。

私でもできるじゃんっ。

ここに来るまで、
私は何をしていたか。

やっぱり話しかけていたよねー。

「花を咲かれておくれー」
「大きくなれよー」

ってね。

それが伝わったからかどうかは
わからないけれど、
なんとなーく
小さなカーネーションちゃんたちと、
心が通じていたように感じていたこの1年間。

私では花を育てることは無理だと思っていたのに、
できたこと。
そして一方的に「育ててやった」というよりも、
カーネーションとの
コミュニケーションを取っていたような・・・

なんて思える出来事でした。

コミュニケーション・・・

これ、何にでも必須な世の中だな。
「私」と「カーネーション」
「私とカーネーション」と「それを見ていた子どもたち」

うむ

じゃぁ、またね。

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