父の日だからなのか、私の父を思い出しました。

今日は父の日ですね。

ちょっと私の父を思い出しました。

3年前にガンで他界したのですが、
余命3ヶ月宣告されてから3年以上も頑張った父でした。

家族として何か暖かい記憶や思い出が、
私の幼少期からあったわけでもなく、
どちらかというと、
常に両親の不仲をなんとかしようと奮闘していた私。

でも父がガンになり、
それまでバラバラだった家族が
なんとなーく同じ方向を見始めたような・・・

外食なんて家族でほとんどしたことなかったのに、みんなで行ったり。
家族旅行なんて行ったことなかったのに、3回も行けたり。
孫の運動会に来てくれたり。

父が病気になった事で、
変わったなぁ、うちの家族。
でもそれぞれの関係の中には、
見えない壁は感じていたけれどね。

両親の仲は、
劇的に改善したわけでもないし、
最後まで両親の心のうちに対しては、
私は猜疑心満載でしたけれどね。

兄や私の話はよく聞いていたけれど、
母に対しては反抗的なこと多々ありましたけれどね。

 

父は自分の病気のことは知ってました。

抗がん剤治療で、ガンが小さくなったこともあったし、
薄かった髪の毛が、ポヤポヤと生えて来て、
みんなで
「やったじゃん。抗がん剤で発毛したね。」
なんて話したこともあるし。

父がどれだけ自分の命について考えていたのかはわからないけれど、
最期の数年間はみんなが少しだけ歩み寄れたような気がします。

なんども入院しても、
すぐに退院を望んでいた父でしたが、
亡くなる数ヶ月前は、本当に辛かったんでしょうね。
自分から入院を希望しました。

入院してからは、多分身体中にガンが転移していたんでしょうね。
寝ていることも多かったし、
意識があっても、別人のように荒々しかったり、
子供みたいに泣いたり。

最終的にはホスピスに転院しました。
移動した時だけ意識はありましたが、
それから亡くなるまでの数日間は意識が戻ることはありませんでした。

一度だけ、意識のない父の病室に泊まった事があります。

何をするわけでもなく、
ただ1晩だけ一緒いました。

それは
もしかしたら
父へ何もできなかった私の、
自己満足とか、懺悔だった気もします。

私はホスピスに転院したことは、
すごくよかったと思いましたが、
家族の中には最後まで
「あの選択でよかったのだろうか・・・」と
つぶやていることもありました。

こうならない為にも、
父には生前、エンディングノートを書くことを
私が強くすすめてました。

「うん、わかったよ。」

と理解をしてくれたけれど、
結局、そのノートには父の、自分の名前しか書かれてませんでした。

 

そうだよな・・・

 

治らないかもしれない病気とわかってて書くのと、
健康な時にいつかの為に書くのと、
ちがうよな・・・

 

結局は居なくなる本人の事ではなく、
残される家族を優先することをしてしまったのではないかと、
後悔はあります。

そう、後悔。

身内のこととなると、
判断が鈍ります。

父の日なのに、
一番に思い出す父は、
闘病中の父になってしまいます。

なんでこんなことを書こうと思ったのか、
私でもよくわかりませんが、
父の日だからでしょうかね。

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