┣ 今日のつぶやき┣ 嬉しかったこと。悲しかったこと。

痛みを再現するのは難しいがゆえに生きられるのかも

 

なんだかすごいタイトルになってしまいました。

 

今日は父の命日です。

亡くなって2年が経ちました。

 

余命半年と言われた人が3年以上も生きてくれました。

何が父にそんな生きる力を与えたのか私にはわかりません。

ずっと仕事一筋で、休みもほとんどなく働いていたところにガン発見。

仕事も突然できなくなって、この人どうなるんだう・・・と心配していた・・・のにっっっ。

 

お正月に実家に行った時にお土産の一つとして「ナノブロック」をプレゼントしたのです。

ずっと家にいるし、もともと職人だったから細かい作業とか好きかなぁと。

 

 

これがどハマり!!!!

 

 

渡したお年玉をちょっとずつナノブロック購入にあてて、

暇な時間を楽しんでいたようです。

 

そーかそーか、楽しんでいるか。

 

と、私も嬉しくなって

 

 

難易度の高いもの、大きなものなどをプレゼントしたんだけど、

時間はあるし、楽しいからあっという間に作ってしまう。

 

ナノブロック・・・結構、高いんだよね・・・

 

こちらの懐が厳しくなってきたので、

今度は塗り絵と色鉛筆をプレゼント。

 

 

これがまたまたどハマりしまして。

 

 

何冊も細かいイラストの大人の塗り絵をプレゼントしましたわ。

色鉛筆も12色をうまく使っていたけれど、何年も使ったのでだんだんと減ってきてしまって・・・

 

そうこうしているうちに、もう塗り絵もできないくらい体調が悪くなって、

今までは入院してもすぐに退院したいと言っていたのが、

自ら入院をお願いしてきました。

本当にきつかったんだろうなと。

 

入院したら気力も無くなってきたのかね、どんどん違う人になってしまって。

でも父を喜ばせたくて、36色の色鉛筆を病室に持っていったんだけど、

わかっているんだか、わかっていないんだか・・・

結局、一度も使わないままうちに戻ってきてしまった。

 

 

前置きが長くなりましたね。

当時は本当に苦しかったんですわ。父の命の期限が見えてきたこと、父が父でなくなってきていたこと。会いたいけれど会いたくないような。

ものっすごい心が痛かったです。

 

でも、その当時の気持ち100%を今、思い出せるか? というと100%ではないし、

「そんなだったかなぁ」と客観的になれるところもあるわけです。

人が亡くなることは辛いし寂しいことだけど、

不思議なものでやはり時間とともにある程度は乗り越えてしまうのかなぁと。

だから今、私は生きていられるのかなぁと。改めて思うのです。

 

別のパターンで思い出したのは、一人目を出産した時に本当に痛くて苦しかった。

こんな痛みが体の中から湧き出るものなのか? と・・・

(立ち会った夫に言わせると、辛そうに見えなかったというが、

分娩台で泣き叫んだ方が良かったのか? コルァア?)

でも、産んだ瞬間にあれほど悶絶していた痛みがなくなるわけです。

でもでも、もう二度とこんな痛みはいやダァー。

 

と言いながら、二人目妊娠。

(いや、二人は欲しかったのでいいんです。)

 

問題はここですわ。

二人目の陣痛が始まり、分娩台に乗った時に一人目の出産時の辛さを思い出したのです。

「そうだった、そうだった。これだー!!! マジかー!!!」

もちろんそれまでは

「あー、また痛いんだろうなぁ。いやだなぁ。」

と思うんだけど、

どれっほどの痛みかは思い出せないのですわ。

 

だーかーら、出産できるんでしょうね。

 

ということでね、思うんです。

大きな痛み(心も体もだけど)を経験しても、

思い出して心がギュッとなることはあったとしても、

100%再現されることはないんだと私は、私はね、思ったのです。

 

逆もしかり。

 

結婚式当日は高揚した気持ちはあったとは思っても、

100%再現されることはないんだと私は、私はね、思ったのです。

冷めたとか、そういうのではないですよ。

同じ愛でも変化しているんだなってこと。

 

ん? 話が変わった?

 

 

波乗りしていた時代にボードの上から見たような景色の写真を見つけたので、

思わず載せてみた。

 

また波乗りしたいなぁ。

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